「被災地に寝袋とテントを届けよう」 僕に決意させたヒマラヤ体験|野口健 アルピニスト②

「朝はもう二度と来ないのではないか…」絶望的だったあの時

アメリカで生まれて高校時代まで海外で暮らしていた僕は、大学に入学するタイミングで日本に戻ってくるまで地震を経験したことがありませんでした。イギリスやエジプトなど僕が暮らした国で地震とは関係のない生活を送っていたのです。実際に人生で初めて地震の大きな揺れを感じたのは、2011年の東日本大震災でした。ちょうど羽田空港にいましたが、大きな音を立てて建物が揺れ、バスターミナルではバスが激しく動いていました。

その後、東日本大震災の被害を伝えるテレビで、避難所で震えている人の姿を目にしました。厳しい寒さの中、寝具は薄い毛布だけで、暖房もあまり使えていないようでした。ヒマラヤで登山をしていて、山頂に行ったものの下りる際に悪天候に見舞われ、テントにたどり着けずにビバークした時、あまりの寒さに通常の1時間が5時間くらいに長く感じ、朝が来れば助かるけれども「朝はもう二度と来ないのではないか」と絶望的な気持ちになったことを思い出しました。と同時に、避難所で過ごす人たちに登山で使う寝袋を送ればいいのではないかと思い付きました。

(野口健事務所提供:寝袋支援)

「3.11」ツイッターで寝袋募集 2000個以上を避難所に

最近の寝袋は高性能で、ジッパーを閉めると体温で中が温かくなります。被災地の避難所で過ごす人々が少しでも暖かいところでゆっくり眠ることができるようになると思いました。さっそく、「寝袋を募集しています」とツイッターで呼びかけました。僕の事務所に個人や企業など賛同してくださった方々から寝袋が届きました。最終的に寝袋は2000個を超え、災害時のSNSの役割や影響力の大きさも実感しました。「被災地の人々のために何か自分にできることはないか」と考えていましたが、これが僕にとって初めての震災の被災地に向けた行動となりました。

災害発生から時間が経過するとともに、被災地で必要とされる支援物資も変化していきます。実際、現場に行かなければ分からないこともたくさんありました。国内外から送っていただいた寝袋を東北地方の被災地に届けた時、「大勢の人が過ごす避難所ではよく眠れない」という声を聞きました。さっそく耳栓とアイマスクを送ったこともありました。

熊本地震の時には、避難所に入れずに車中泊をしている人がいると知り、足を伸ばして寝てもらおうと登山用のテントを贈ることを思いつきました。ただこの時は、テントを届けるだけでなく設営するところまでかかわり、熊本県益城町に避難所として「テント村」を設営するきっかけになりました。

(野口健事務所提供:熊本県益城町のテント村)

また災害時には、電気やガス、水道などのライフラインがストップし、避難所では必ずトイレの問題が出てきます。ポータブルトイレ「ラップポン」は、使用後にボタンを押すと袋が自動で熱圧着処理され排泄物を完全密封します。水も使わずにおいもなく、感染症対策を含めた衛生面でも安心できます。益城町の「テント村」でその使い勝手の良さを知り、現在は僕の自宅でも備えています。

③つらい避難所こそ、キャンプ場みたいな楽しめる空間に

<プロフィル>
野口健(のぐち けん)
1973年アメリカ・ボストン生まれ。亜細亜大学国際関係学部卒業。植村直己氏の著書「青春を山に賭けて」に感銘を受けて登山を始める。1999年エベレスト(ネパール側)の登頂に成功し、7大陸最高峰世界最年少登頂記録を25歳で樹立。エベレストや富士山の清掃活動を行うほか「野口健環境学校」で子どもたちの環境教育に取り組む。ネパール・サマ村の子どもたちのために学校を作るプロジェクトや2015年4月のネパール大地震、2016年4月の熊本地震でも支援活動を行う。熊本地震では、岡山県総社市などの自治体や多くのボランティアの協力を得て熊本県益城町にテント村を開設した。著書に「震災が起きた後で死なないために」 (PHP新書) など。

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