震災10年・津波で壊滅した宮城県女川町の須田善明町長が復興を語る

東日本大震災から10年。被災した自治体の首長は復興に向けて、どう取り組んできたか。津波で町が壊滅した宮城県女川町の須田善明町長(=写真)に聞いた。

最大14.8mの津波に襲われ、この10年で人口は4割減

町の人口は、この10年で約1万人から約6000人へと4割減りました。全国で最も人口減が進んだ自治体の一つです。復興工事に時間がかかったことが原因と言われますが、そもそも最大14.8mの津波に襲われて住宅の7割が全壊し、家を建てる場所がない状態から復興が始まったことを忘れないでほしい。

私も自宅を流され、家族で5年余り仮設住宅で暮らしました。住宅もない、土地もないとなれば、住民は町を出ることを余儀なくされます。

人口減は被災地以外でも共通しています。ネガティブにとらえていても仕方がありません。さまざまなチャレンジによって活力を生み出し、これから住みたい町にすることが大事です。

「職住分離」で持続可能なまちづくり

大きな取り組みが「職住分離」の復興まちづくりです。実は震災後の制約条件の中から生まれました。女川は山に囲まれた低地にあった中心部の住宅地が津波で壊滅しました。そこで山を切り崩した高台に住宅地を造成する一方、その土砂を使って低地をかさ上げし、店舗や事業所、工場などを集約したのです。

写真説明:震災から10年が経過した女川町(2021年3月10日)

震災前は自宅兼店舗の職住一体の住民が多かったので、職住分離は二重に経費がかかるうえ、整備に時間がかかると言って町を出た人もいます。また、高低差のあるまちが形成されたことで、高齢者ら交通弱者の移動手段という新たな課題も抱えました。

それでも復興後を見据えると、「職住分離」が持続可能なまちづくりにつながると判断したのです。結果として、中心部のまちでにぎわいを創出しながらも、高台で良い住環境を確保できる強みを持つことができたと思っています。

中心部にテナント型商業ゾーンを開業

この中心部の核となるのが38区画ある商業ゾーン「シーパルピア女川」です。震災の惨状から立ち上がる中で、シャッター街にはしたくないと考え、町内外から出店し、入れ替わることができるテナント型にしました。

写真説明:2015年12月に開業したテナント型商店街「シーパルピア女川」

町外の人から起業の支援を受け、町内の女性たちがスペインタイルを生産、販売する店もあります。震災ボランティアなどをきっかけに移住し、飲食店を営んでいる若者もいます。小さい町なので人間関係が濃すぎて敬遠されることもありますが、コミュニティーのつながりが強く、被災地に起こりがちな復興住宅での孤立の問題も顕在化していません。そんな町に魅力を感じた人が外から入ってきて化学反応が起きています。

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