震災10年・全村避難した福島県飯舘村の菅野典雄前村長が復興を語る

東日本大震災から10年。被災した自治体の首長は復興に向けて、どう取り組んできたか。原発事故で全村避難した福島県飯舘(いいたて)村の前村長・菅野典雄氏(=写真)に聞いた。

2011年4月22日 村全域が避難区域になった

飯舘村は福島県北東部の自然豊かで畜産が盛んな村でした。震災前の人口は約6500人。効率的な社会が必ずしも人々の幸せを約束するものでもありません。田舎のスローライフを大切にしようと、「丁寧に」「じっくりと」という意味の方言「までい」をキーワードに村民が団結し、村づくりをしてきました。

東京電力福島第一原子力発電所からは30km以上も離れており、原発とは無縁だと思っていました。しかし原発事故後、村内で計測される放射線量が高いことがわかり、2011年4月22日、村全域が計画的避難区域になりました。

2か月かけて村民の9割を近隣に避難させた

政府は県外に分散して避難する案を示してきましたが、受け入れがたいものでした。命と健康が最優先なのは言うまでもありませんが、村民同士のつながりが切れてしまう事態は避けたかったのです。

村に近い場所を探し、2か月かけて村民の9割を車で1時間以内の距離にある福島市などに避難させました。特別養護老人ホームの場合、寝たきりで高齢な入所者は、移動で容体が悪くなる懸念があり、運営の継続を政府に認めてもらいました。

放射線のリスクと暮らしを変えてしまうリスク。どちらを重視すべきか難しい判断でした。避難に時間をかけた点も含め、批判を浴びました。だが他の地域で避難による関連死が多発したのを踏まえると、間違っていなかったと思います。

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