震災10年・元内閣危機管理監伊藤哲朗氏「一元管理できる仕組みを」

首相官邸地下の危機管理センターで初動対応にあたった

東日本大震災に内閣危機管理監として関わった伊藤哲朗氏(=写真)に当時を振り返ってもらい、今後の教訓などを語ってもらった。

地震そのものの対応は多くの点で円滑に進んだ

2011年3月11日の東日本大震災の発生直後から首相官邸地下の危機管理センターで、各省庁の幹部らによる緊急参集チームとともに初動対応にあたりました。

写真説明:東日本大震災で大きな揺れに襲われた参院決算委員会(中央は当時首相だった菅直人氏、2011年3月11日14時49分撮影)

政府の緊急対応の要である内閣危機管理監として、全国から被災地に警察、消防、自衛隊、災害派遣医療チーム「DMAT」を速やかに派遣するなど、地震そのものの対応は、多くの点で円滑に進みました。しかし、東京電力福島第一原発の事故対応は別でした。

原発初動は官邸5階で行われ、情報が分断された

政治家や東電の幹部、原子力の専門家らが集まっていた官邸5階で、私や緊急参集チームが対応している危機管理センターとは別に、情報収集と指示が行われており、情報が分断され、初動が混乱しました。

避難区域の指定や計画停電の実施を巡っても、我々が置き去りにされ、政治家の判断を修正したり、後追いしたりする形で対応しなければならなかったのは大きな反省点です。

東電や原子力関係者は対応できていなかった

緊急事態は日常では経験しにくいため、日頃の訓練が重要です。原子力災害が起きた場合に備えた訓練は原発事故前も実施されていましたが、東電や原子力関係者が全く対応できなかったのを見ると、「大きな事故は起きないだろう」という甘えがあったと言わざるを得ません。

職を辞するタイミングを決めていた

政府は2011年12月に、福島第一原発の原子炉が「冷温停止状態」を達成したと宣言しました。私はその前から冷温停止を一つの区切りとし、内閣危機管理監の職を辞すると決めていました。12月末に退任した際、震災対応にあたった9か月間は、何年分もの長さに感じられました。

その後の政府の災害対応については、自治体からの要請を待たずに物資を届ける「プッシュ型支援」が実施されるなど、東日本大震災の経験が生かされ、対応力は年々向上しています。

状況を一元的に把握できる仕組みを充実すべき

ただ、自治体単位でみると、対策は十分とは言えません。大規模災害が起きた際に国の機関からの情報も含め被害状況を一元的に把握できる国の危機管理センターのような仕組みを充実させていくべきだと考えます。

2020年来、政府は新型コロナウイルス感染症への対応に追われています。感染症は、災害や原子力事故と事象は違っても、危機管理という意味では同じです。各省庁の豊富な知恵を生かし、政府一体となって取り組んで、この危機を乗り越えてほしいものです。

伊藤哲朗氏 <プロフィル> いとう・てつろう 1972年警察庁入庁。警察庁生活安全局長、警察大学校長を経て、2006年に警視総監。2008年に内閣危機管理監に就任し、2011年に退官。72歳。

〈内閣危機管理監〉1995年の阪神大震災で官邸の情報集約が遅れたことを教訓に、1998年に新設された。初代は安藤忠夫氏で、歴代警察庁OBが務めている。大規模災害や重大事故の際、省庁間の総合調整を担う強力な権限を付与されている。

(読売新聞 2021年3月10日掲載 政治部・依田和彩)

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