アイリスオーヤマ大山健太郎会長の災害対応「現場力を磨く」

東日本大震災10年とこれからのこと…

2011年の東日本大震災から10年。多くの自然災害を経て、企業はBCP(事業継続計画)の策定など有事への備えを進めてきた。仙台市に本社を置き、東日本大震災でも被災した生活用品大手・アイリスオーヤマの大山健太郎会長=写真=に、企業の災害対策のあり方を聞いた。

積み荷崩れ2万種近くの商品が出荷不能に

あの日、展示会に参加していた千葉県で激しい横揺れに襲われた。震源が宮城県沖だと知り、社員と一緒に本社に車を走らせながら携帯電話のワンセグでテレビ中継を見ると、仙台空港が津波にのみ込まれていた。映画を見ているようだった。

グループで3人の従業員が亡くなり、親族と連絡が取れない社員、避難所生活を強いられた人も大勢いた。本社や工場の建物に大きな被害はなかったが、2万種類近い商品を生産・管理する宮城県角田市の工場は約30mの高さから積み荷が崩れ、出荷できる状況ではなかった。

被災地で必要だから 余震続く停電下で稼働

だが、使い捨てカイロや簡易コンロなど、被災地で今すぐ必要な商品が工場にはたくさんある。製造業の使命は供給責任を果たすことであり、震災から3日後、下を向く社員に「被災者に物資を届けることを優先しよう」と呼びかけた。余震が続き、停電で真っ暗な工場の中で、命綱を付けた社員らが荷崩れを一つ一つ直し、3月21日には工場を動かせる状態にした。

写真説明:震災の翌週、宮城県の角田工場で社員に語りかける大山氏(左、2011年3月)

分散こそBCPの要 「阪神」教訓にデータ相互バックアップ

過去の経験も生きた。1995年の阪神大震災では、兵庫県三田市の工場の設備が停電で動かせなくなった。これを教訓に、停電に備えて三田と角田で基幹システムの生産管理データを相互にバックアップしておいたことで、角田での生産分を他工場に振り分けられた。国内外に多くの拠点があるが、分散こそがBCPの要だ。

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