3・11 膨大な支援物資はプロが「岩手方式」でさばいた

(永代印刷提供)

東日本大震災から10年。震災を経験した人たちの証言から出来事を振り返る。

多目的空間でトラックとフォークリフトが動き回る

コンサートや展示会が開かれる多目的空間に大型トラックが乗り入れ、支援物資を積んだフォークリフトが慌ただしく動き回る。岩手県滝沢市の岩手産業文化センター「アピオ」で繰り広げられる異様な光景が、非常時であることを物語っていた。

アピオは東日本大震災で、全国から届けられた支援物資を県内各地に仕分ける1次集積拠点になった。

だが、ここに至るまでは、試行錯誤があった。

震災直後は県の職員が対応したが…

災害が起きた際、支援物資はまず各都道府県の1次集積拠点に集められ、そこから市町村ごとに置かれた2次集積拠点を経由して、避難所の被災者に届く。

震災発生直後、岩手県内の1次集積拠点になったのは、矢巾町にある全農いわての倉庫。県職員が運転手らに次々に指示を出した。

しかし、県職員はいかんせん物流現場の差配には不慣れで、お世辞にも効率が良いとはいえなかった。倉庫も十分なスペースがなく、支援物資ですぐに満杯になる。県トラック協会の佐々木隆之専務理事=写真=は、紙に書かれた順番のまま、チョコレートの上に水が入ったペットボトルが積まれているのを見て、「そりゃ、違うでしょ」と思った。

佐々木隆之専務理事

見かねた県トラック協会が乗り出した

戸惑う現場を見かねた協会は県に対し、配送作業を協会に一任すること、1次集積拠点をアピオにすることを提案。震災発生の4日後から配送作業を協会が指揮するようになった。

アピオのアリーナは3600㎡あり、1日100台以上のトラックが乗り入れできた。「トラックはいちいち移動させなくていいよ」「ほら、こっちの荷物持ってってけろ」――。県職員と協会職員が24時間体制で詰め、昼夜を問わず関係者の声が飛び交った。

写真説明:2階までびっしりと緊急支援物資が積まれたアピオのアリーナ。大型トラックが屋内に直接乗り入れた(永代印刷提供)

管理は県、積み下ろしは協会の「岩手方式」

そうするうちに、滞りがちだった作業が回り始めた。佐々木さんは「物資の管理は県が、積み下ろしは協会が担う分業体制を築くことができた」と話す。この手法は後に「岩手方式」と呼ばれ、全国の物流関係者に知られるようになった。

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