防災教育「子どもたちの命を守るとりくみ」文書で4者が連携

高台の公園に向かう児童たち

写真説明:地震津波を想定した訓練で校舎を出て高台の公園に向かう児童たち(2021年3月11日、大分県臼杵市で)

東日本大震災の発生から10年。大分県内では南海トラフ巨大地震で沿岸部を中心に大きな被害が想定されている。発生確率は今後30年以内で70~80%。震災の教訓はどう生かされているのか。各地を歩いた。

大分・臼杵小では避難訓練が年7回行われている

3月11日午前、臼杵市中心部にある臼杵小学校(266人)で地震・津波を想定した訓練が行われた。

校舎は臼杵川の河口近くにあり、海抜約2m。県は、巨大地震が起きれば河口付近に押し寄せる津波は最大5・75mと試算し、警戒を呼びかけている。

マップ

児童数266人の訓練に参加人数1000人以上

花火の音を合図に、児童はすぐに机の下に身を隠した。数分後に校庭へ飛び出すと、上級生が下級生の手を取り、近くの公園(海抜約20m)まで避難した。

5年生が1年間の防災活動を発表し、「もっと防災の達人になれるように頑張りたい」と締めくくった。訓練は震災にあわせて地元自治会が始め、5度目となる今回は住民ら約1000人が参加した。見守った自治会の福田和民会長は「動きがスムーズでよく考えて行動できていた」と語った。

防災教育に取り組むきっかけ

震災による津波では、大川小(宮城県石巻市)で84人の児童・教職員が死亡・行方不明となった。避難に手間取り、そばの裏山に移動できなかった。臼杵小ではこの悲劇を受け、震災の翌年、高台に校舎を移転する計画が一時持ち上がった。幻となったこの計画を機に「移転によらない防災」への意識が今も引き継がれている。

「計画がなければ、臼杵小に防災教育は根付かなかっただろう」

当時、PTA会長だった塩崎洋一さん(=写真)は校舎を見つめ、つぶやいた。

塩崎洋一さん

高台への移転計画が出た時にPTA会長が行ったこと

市は2012年7月、学校の1・3km南にある福良ヶ丘小(海抜約24m)に移転する計画をPTAに打診した。津波対策のため、高台に校舎を建て替え、統合する案だった。

議論を透明化しようと、塩崎さんは市とのやり取りを全て文書に残してもらい、全247世帯の保護者に公開した。わが子の世代に限った選択ではない。後世に検証する資料を残したいという気持ちもあった。

移転の是非を保護者にアンケートで尋ね、翌2013年1月の総会で結果を公表した。「通学時間が30分延びることになり、負担となる」「学校をなくせば地域の衰退につながる」など、反対が8割を占めた。総会から2週間後、市は計画を撤回した。

移転計画がなくなった後に

2013年2月、地元自治会、PTA、学校、市の4者は「子どもたちの命を守るとりくみ」と題した文書を交わした。移転議論で結論となった「防災教育の充実」について、連携して取り組むことを明文化した。この約束をもとに児童向けの教材「防災ノート」をPTAが作成、今も在校生に配られている。

PTA作成の「防災ノート」では

「避難場所までのルートは三つぐらい考えておこう」「家の中で安全な場所を決めておこう」――。ノートには随所にイラストをちりばめ、防災に関するクイズを盛り込んだ。巻末には避難場所の写真も添え、家庭や学校で活用されている。

学校での訓練は震災前より大幅に増やし、2020年度は学校独自で7回を計画している。火災や不審者対応を想定し、予告なしに行うこともある。2020年4月に赴任し、防災教育を担当する吉良邦雄教諭は「30年近い教員生活だが、ここまで力を入れている学校は初めてだ」と驚く。

「子どもが家にいても、外で遊んでいても、自分の身を守る意識を育むことが大切だ」。塩崎さんはしみじみと感じている。

(読売新聞 2021年3月12日掲載 「いのちを守る」上)

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