3.11発生直後の道路復旧 「くしの歯作戦」はこうして遂行された

写真説明:がれきで覆われた国道45号で、重機を使った撤去作業が行われた(2011年3月16日、岩手県陸前高田市で)=東北地方整備局提供

東日本大震災からの復旧・復興には、多くの人たちの懸命な支援活動があった。「支え手たち」の軌跡を追った。

地震発生当日の「我々が道を開かねば…」

2011年3月11日、午後4時頃。東日本大震災の発生から1時間あまりが過ぎていた。仙台市中心部にある東北地方整備局災害対策本部のモニターに、防災ヘリから送られてきた津波の映像が映し出された。局長の徳山日出男氏は、沿岸部が最大の被災地になると直感した。

徳山・東北地方整備局長の判断

しかし夜になると、沿岸部に向かう道路がことごとく通れないことが判明した。土砂崩れや津波が運んできたがれきで、幹線道路があちこちで寸断された。「我々が道を開かなければ自衛隊も消防も現地に入れない」。大畠章宏・国土交通相から全権を任された徳山氏は、翌朝、大津波警報が出ている沿岸近くの現場へ職員を送り込んだ。

どこを復旧させるのか

徳山氏らは、内陸部を南北に貫く東北自動車道と国道4号を軸に、太平洋沿岸へ延びる12本の国道を早期に復旧させる方針を決めた。地図に落とすと、12本がちょうど櫛(くし)の歯のように見えたため、「くしの歯作戦」と名付けた。

■東日本大震災時の「くしの歯作戦」(一部)

厳しい作業になると覚悟したが、それぞれの現場では、自治体職員や建設業者らが既に活動していた。同じ思いで行動する仲間の存在を知り、徳山氏は「現地と心はつながっている」と勇気がわいた。

写真説明:陸前高田市を起点とする国道340号もがれきで埋まっていた(2011年3月15日、陸前高田市で)=東北地方整備局提供

写真説明:陸前高田市で行方不明者を捜索する自衛隊の隊員たち(2011年3月12日)

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