3.11被災役場の壁紙も!「災害の記録」をどう残す

(白井哲哉・筑波大学教授提供)

被災現場や避難所に残された紙や写真も「歴史資料」

「歴史資料」といっても、絵巻物や古文書などの文化財ばかりを指すわけではない。災害時、被災現場や避難所、役所に残された紙や写真なども、その一つなのだという。

「歴史資料(史料)ネットワーク」の交流集会から

2011年の東日本大震災以降、災害時に歴史資料の保全などに取り組む各地の「歴史資料(史料)ネットワーク」に、そんな意識が浸透しつつある。2月下旬に開催された史料ネットのオンライン交流集会では、活動の広がりを伝える報告が印象的だった。

史料ネットは1995年の阪神大震災後に神戸で初めて発足。各地に設立された同種の団体は東日本大震災後さらに増え、現在は全国で約30団体が活動する。

人々の生活を記録し、地域の歴史を伝えるものも保全対象に

倒壊した建物や浸水地域から古文書や美術品などを救出し、保全する活動の基本は今も変わりない。しかし、基調講演した平川新・東北大名誉教授によると、近年は「人々の生活を記録し、地域の歴史を伝えるもの」が広く保全対象に含まれるようになったという。

代表的なものが災害の記録や記憶を伝える資料だ。数百年、数千年の歴史軸を持ち出すまでもない。災害を生き抜いた人々の営みを伝え残すことは将来の防災、減災につながる、との発想が前提にある。

福島県双葉町役場の壁にあった模造紙

筑波大の白井哲哉教授が資料として紹介したのは、1枚の模造紙。東京電力福島第一原発事故で全町避難となった福島県双葉町役場で、町職員が情報共有のため壁に貼っていたものだ。

写真説明:福島県双葉町役場の壁に貼られた模造紙。全町避難となり、長い間そのままだった(2014年撮影、白井哲哉教授提供)

<格納容器内で圧力上昇><津波によりポンプの起動確認できない>といった原発の状況や、小中学校への避難者数の推移などが手書きされ、当時の切迫した状況が胸に迫る。確かに「3・11」の記憶を揺さぶる資料と言えるだろう。

白井教授は「資料の活用なくして保全なし」と訴えた。

写真説明:移転先で職務にあたる福島県双葉町役場の職員たち。町民らの避難に合わせて役場も機能ごと移った(2011年3月27日、さいたま市のさいたまスーパーアリーナで)

被災地で収集した資料は公開し、活用できてこそ魂が宿る。集会では、保全した資料の展示や保管場所の設置が進まないことを危惧する声もあった。担い手育成の課題もある。

震災から10年。歴史に向き合う活動の意義を見つめ直す機会になるといい。

(読売新聞 2021年3月11日掲載 文化部・松浦彩)

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