バレエを70年踊り続ける森下洋子さんが東日本大震災を語る


写真説明:被災地、宮城県石巻公演で観客に囲まれたバレリーナの森下洋子さん=(c)エー・アイ 飯島直人氏撮影

バレリーナの森下洋子さんは、舞踊歴70年を迎え、今なお現役で新型コロナウイルスの感染拡大で疲れた日本を元気づけようと舞台に立ち続けている。森下さんが10年前の東日本大震災について振り返った。

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松下バレエ団の団員たちと森下さん(松山バレエ団提供)

そのときバレエ団で稽古中でした

東日本大震災が発生した2011年3月11日、東京の松山バレエ団では、私と清水哲太郎さんの稽古と0歳児クラスのレッスンが行われていました。団員は翌日の舞台の仕込みで、劇場に入っていたのです。午後2時46分、何か変だと思ったら揺れが大きくなり屋外に避難しました。

ニュースを見ると、東北地方が地震と津波で大変なことに。東京では交通機関が止まったので、子供とお母さんは稽古場にマットを敷いて宿泊。バレエ団の施設が避難所みたいになりました。

まず思ったこと

揺れた時、まず思ったのは「稽古しなければ」ということ。私たちの仕事は、どんな時でも毎日同じようにコツコツ稽古をやり続ける必要があります。なんとか稽古を続けられるようにつとめました。

震災後の新「白毛女」と「コッペリア」のこと

この年、私は舞踊歴60年を迎えました。記念公演は新「白毛女」。苦難にも屈しない主人公を、被災された方々の痛みを想像して踊りました。

写真説明:舞踊歴60年を記念した新「白毛女」のため、リハーサルを行う森下さん(右)と夫の清水哲太郎さん。(2011年3月18日、祐成秀樹撮影)

清水さんは、鎮魂と復興を祈る創作を始めました。翌2012年には「コッペリア」を改訂して上演しました。

<「コッペリア」は、変人の博士が作った機械人形を巡るコミカルなバレエ。清水版では、自然災害で娘を亡くした哲学者が、どうしても彼女に会いたいため、よく似た人形を作ったという設定にした>

写真説明:主演する「コッペリア」のリハーサルを行う森下さん。コミカルな古典バレエを東日本大震災の犠牲者の鎮魂と復興を祈る物語に改訂した(東京都港区で。2013年4月9日撮影)

大胆に変えましたが、それでいいと思う。アーティストは強いメッセージを持って舞台に立たないといけません。

宮城・石巻市の「白鳥の湖」のこと

2014年3月は、宮城県石巻市の皆さんの招きで新「白鳥の湖」の石巻公演が決まりました。その稽古は、震災をどうとらえるか、どう手を取り合うか、伝えられるものは何かなどと自分たちに問いかけて進めました。

公演当日は冷たい風が吹く寒い日でした。復興は進んでいましたが、会場の石巻中学校の体育館は避難所であったところですし、震災の記憶はまだ鮮明でした。それでも、3時間以上も並んで開場を待つ方もいらっしゃいました。

オデット役に想いをこめました

お客さんは子供からお年寄りまで1300人。可能な限り近くで踊りたいので体育館の床に張り出して舞台を組みました。私はオデット役。どんなに絶望的な状況でも決して屈せず、明るく前に進むという決意をこめて踊りました。白鳥たちが力を合わせて悪魔を倒すラストでは、多くの方が目頭を押さえていました。

写真説明:石巻公演の終演後、森下さんは大きな拍手と歓声に包まれた=(c)エー・アイ 飯島直人氏撮影

終演後は舞台を降りてお客さんと握手をしましたが、どなたも離してくださらない。ものすごく喜んでいただけたことがわかりました。

石巻公演を終えて

この経験は大きな力になりました。来てくださった皆様の真剣で、ひと時も目を離さない様子に、私たちの方が大きな勇気をいただきました。そして心の危機を救う舞台芸術の可能性をみんなで考えるようになりました。

Jun Takagi氏撮影

森下洋子さん<プロフィル>もりした・ようこ 1948年、広島市生まれ。1974年にバルナ国際バレエコンクールで金賞を獲得。名ダンサー、ルドルフ・ヌレエフさんの相手役として様々な国で踊った。松山バレエ団理事長・団長。日本芸術院会員。

(読売新聞 2021年7月2日掲載 「時代の証言者」踊り続けて70年森下洋子[29] 編集委員・祐成秀樹)

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