紀伊水害10年「深層崩壊を経験して行っていること」田辺市長

悪天候で衛星携帯電話さえ機能しなかった

和歌山、奈良、三重の3県で死者・行方不明者が計88人に上った2011年9月の紀伊水害から10年。被害が大きかった和歌山県田辺市の真砂充敏市長=写真=に、復興の歩みや、被災経験を踏まえた今後のまちづくりについて聞いた。

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2011年9月4日午前2時頃の一報

――当日の動きは。

10年前の9月4日午前2時頃、自宅に市役所から電話があった。「伏菟野(ふどの)地区で土砂災害が発生し、民家数軒が被災した」との報告だった。雨はずっと降り続き、特に4日未明は強かった。土砂崩れと聞いて「普通の災害ではない」と嫌な予感がした。市役所へ向かう車の中で、自衛隊の出動を県に要請するよう指示した。

(9月4日)午前3時頃に市役所に到着。明け方までに熊野(いや)地区の土砂崩れ、本宮町の浸水被害、龍神村での道路の寸断といった被害情報が次々と入ってきた。夜明けを待って被災地域に職員を派遣し、私も伏菟野に向かった。

――現場の様子は。

信じられない光景だった。被災したのは斜面沿いの家だと思っていたら、田んぼの中にあった民家だった。少し離れた山が深層崩壊を起こし、多量の土砂が田んぼを突っ切って家をのみ込んでおり、威力を見せつけられた。

写真説明:山の斜面が崩落し、集落がのみこまれた和歌山県田辺市伏菟野(ふどの)地区(2011年9月4日撮影)

◆表層崩壊と深層崩壊

伏菟野や熊野の被災者の家族からは「早く捜索して」と求められたが、二次災害の危険があった。雨は既に上がり、空は晴れている。でも、国の情報ではまだ警戒が必要だった。苦渋の決断だったが、国の意向通り、警戒区域に指定した。結果的には良かったと思う。

写真説明:土砂に押し流された現場では行方不明者の捜索活動が続いた(和歌山県田辺市伏菟野で、2011年9月4日撮影)

◇田辺市内の被害
死者   8人
行方不明者1人
全壊   90棟
半壊   236棟
床上浸水 336棟
床下浸水 292棟

――伏菟野では、被災するまで市から避難勧告や指示が出なかった。

災害の発生箇所は被害が出ない場所との認識で、危険度が低いと見ていた。当時の警報・注意報は近畿で最も広い市域(1026㎢)に「田辺」として出るだけで、伏菟野への集中豪雨がわからなかった。

写真説明:和歌山県田辺市熊野では、土砂などが川の水をせきとめてできた「土砂崩れダム」が確認された(2011年9月9日撮影)

市が水害後、気象庁に要請し、2016年3月から市域を「田辺」「中辺路」「本宮」「龍神」「大塔」に5分割して細かく出るようになった。

災害時の情報収集の難しさも痛感した。職員には衛星携帯電話も持たせていたが、悪天候で電波が乱れて機能しなかった。代わって、同じエリア内では通じやすい無線通信網を拡充した。

――水害後は防災教育に力を入れている。

防災の専門家の片田敏孝・東京大特任教授の協力を仰ぎ、水害の2年後から、小中学生に災害の怖さや持ち出し袋の準備、避難路の確認などを各校に教えている。市内の中学校の生徒が地元の避難路を調べて「避難先のお寺へ至る坂道に、お年寄りのために手すりを作っては」と提案してきた。片田先生から「子どもが自ら提案したことは防災教育の成果だ」との助言もあり、実現させた。

常に想定していること

――今後の目標は。

現在、災害対応と通常業務の両方をこなすための事業継続計画(BCP)と、被災した時に救援物資や応援の人員をどう受け入れるかを決めておく受援計画を策定している。2021年度中には完成する。津波襲来後の道路などの復興計画の事前策定も1年以内にできあがる予定だ。

田辺市では、海からの津波や川の氾濫、土砂崩れなど、火山以外の全ての災害が発生する危険がある。常に「最悪」を想定して対処していく。

(読売新聞 2021年9月3日掲載 「紀伊水害10年 首長に聞く」下 和歌山支局紀南通信部・南俊彦)

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