災害ボランティアの理想形「石巻モデル」はいまも進化中(前編)

写真説明:東日本大震災が起きた翌日の宮城県石巻市

東日本大震災後の宮城県石巻市でできた仕組み

東日本大震災で最大被災地となった宮城県石巻市には震災直後、100以上の支援団体が駆けつけた。混乱の中、互いの顔も活動内容も知らない団体同士が集まって役割を調整し、市役所や自衛隊などと情報共有する仕組みを作り上げた。「石巻モデル」とも呼ばれた連携の形は、災害対応の「基本」として定着しつつある。

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石巻モデルはこうして生まれた

発災直後の支援で生じた課題

テレビで報道された避難所に炊き出しが集中する。食料を受け取れない被災者がいる――。震災直後、支援団体の多くがこうした問題に直面した。各団体が連絡を取り合うことなく、ばらばらに活動した結果、炊き出し場所が重複したり、支援から漏れる地区が出たりしていた。

震災6日後の2011年3月17日に石巻に入ったNGO「ピースボート」(東京)の山本隆さんらは情報収集のため避難所などを回りながら「情報共有が必要だ」と感じた。1995年に経験した阪神大震災では、支援の中心は個人ボランティアだった。それ以降、災害対応を専門に行うNPOやNGOなどの団体が増え、東日本大震災では個人ボランティアとは別に、それぞれが行動を起こしていた。

約20団体が話し合った

山本さんらの呼びかけで、2011年3月20日に石巻専修大の3階ホールに集まったのは約20団体。それぞれの活動予定などを話し合い、炊き出しや物資配布の「もれ」や「むら」をなくすようにした。

話し合いは「NPO・NGO連絡調整会議」と名付けられ1年余り続く。2011年7月までは毎晩開かれ、参加は一時100団体を超えた。「団体同士のネットワークができ、効率的な支援に結びつけることが可能になった」と山本さんは振り返る。

写真説明:支援団体のリーダーたちが集まって情報を共有した(2011年7月、石巻専修大で)

情報共有ができてからの支援活動

個人ボランティアとは社協を介して

山本さんらは個人ボランティアの窓口となった市社会福祉協議会(社協)とも協力体制を築いた。社協に要請があった泥出しを手伝ったり、重機が必要ながれき撤去を請け負ったりした。社協の窓口となった生活支援課長の阿部由紀さんは「個人ボランティアではできない仕事を団体側はやってくれた。情報交換するうちに信頼関係ができた」と話す。

◆泥出し・がれき撤去を巡るやり取りと連携の例

▶泥や壊れた家具を民家から搬出
▶床下や側溝の掃除
▶重機やダンプを使って活動も

説明:がれきが山積していた道は2日で片付いた(写真は公益社団法人「3.11みらいサポート」提供)

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