写真説明:1946年12月の昭和南海地震で倒壊した岡山市内の家屋(岡山地方気象台提供)
岡山は本当に災害が少ないのか「災害史」から教訓を探る
災害が少ない「晴れの国」なのに――。甚大な被害が出た2018年の西日本豪雨は岡山県民に衝撃を与えた。岡山で災害は本当に少ないのか。県内の災害史を掘り起こし、その教訓を探る。
「下から突き上げるような激しい揺れがしばらく続いた。立っていることができず、両手を床について踏ん張った」
岡山市東区君津の西崎知義さん(89)は、74年前の昭和南海地震について、そう振り返った。同地区は干拓地で、周辺住宅の多くは倒壊し、路面からは泥がふき上がっていたという。
昭和南海地震は1946年12月21日午前4時19分に発生した。四国沖から紀伊半島沖の南海トラフ沿いを震源域とするマグニチュード8・0の地震で、高知県や和歌山県などの津波被害も含めると死者・行方不明者は1400人以上だった。
岡山測候所(現在の岡山地方気象台)の現地調査では、岡山市の西大寺地区(現・東区)などで最大震度6だったことを確認。県によると、死者は52人、負傷者は157人、建物の全半壊は3546戸に上った。死者の9割超に上る48人は岡山市に集中。市南部の干拓地などで激しい揺れによる液状化が広がり、多くの人が倒壊した家屋の下敷きになったという。
気象庁の資料では、確かに大地震の回数は多くない。県内で23(大正12)年から2019年の間に起きた震度4以上の地震は19回。これは、全国で富山県(12回)、佐賀県(13回)に次いで3番目に少ない。最も多い東京都の561回と比べると、約30分の1だ。
その理由は活断層の少なさにある(=下図参照)。県中央部の吉備高原は地殻変動が少なく安定しており、点在する畑ケ鳴断層や塩之内断層はいずれも短く、活動も活発ではないとされる。
◆県内の主な断層
ただ、奈義町周辺の那岐山断層帯、美作市などの山崎断層帯はいずれも活断層で、警戒が必要だ。県南部に広がる干拓地の地盤は軟弱で、岡山大の松多信尚教授(自然地理学)は「プリンの上に乗っているようなもの」と指摘する。
近い将来の発生が予測されている南海トラフ地震で、岡山市や倉敷市は最大震度6強に襲われるとみられている。津波の高さは最大3・4mで、県の推計では最悪の場合、約3100人が死亡し、建物約3万棟が全半壊するとされる。
国や自治体は、倒壊した住宅の下敷きになり、亡くなった人が多かった阪神大震災以降、震度6強~7の揺れに耐えられる耐震基準が定められた1981年以前建てられた建物の耐震化工事に補助金を出すなど、住宅の耐震化を進めている。
県内の建物の耐震化率は2014年度時点で、全国平均(82%)より低い75%。県は20年度までに95%を目標としてきたが、達成できるかは不透明だ。
県が西日本豪雨後の昨年実施した別の調査(約1300人が回答)では、災害に対する備えを特にしていない人が27%に上るというデータもある。
松多教授は「南海トラフ地震が起きれば、大阪市などの大都市でも大きな被害が出るおそれがあり、行政による支援、救援が遅れる可能性がある。『1週間援助がなかったらどう生き延びるか』などと想像して備えるべきだ」と警鐘を鳴らしている。
(読売新聞 2020年8月18日掲載 連載「『晴れの国』の災害史」①)
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