「晴れの国」の災害史(5)水害 (連載)

写真説明:西日本豪雨では堤防が決壊し、大規模な浸水被害が発生した(2018年7月7日、岡山県倉敷市真備町で)

真備の教訓 語り継ぐ

2018年7月の西日本豪雨で、倉敷市真備町など岡山県内は大規模な水害に見舞われた。年間降水量が少ない県は「晴れの国」として知られるものの、真備町の高梁川と小田川が合流する一帯は上流で大雨が降ると水害が起きやすい低地になっており、地元住民は繰り返し、水害に苦しめられてきた。

 

1976年9月8~13日、台風17号が秋雨前線を刺激し、県全域は集中豪雨に見舞われた。県南東部と西部の被害が大きく、県の資料では死者19人、負傷者116人の大惨事となった。

 

当時の真備町が作った「昭和51年9月台風17号による水害記録誌」によると、6日間の雨量は474ミリに達したという。小田川左岸堤防の漏水に始まり、町内では山が崩れ、家屋浸水や水稲冠水などで被害総額は約10億円にもなった。同町で死者は出なかったものの、床上浸水などで533世帯が被災。避難した1041人や水防従事者のために炊きだしも行われた。

写真説明:1976年の台風17号で浸水した当時の真備町(倉敷市提供)(下)

記録誌には「防災対策の反省と問題点を究明し、特に水害対策を早急に講じなければならない」と書きつづられている。また、今後の課題として、▽小田川堤防弱体箇所の全面改修▽避難場所の選定と避難者の適切な誘導――など13項目が指摘されている。

 

「発刊のことば」で、当時の真備町長は述べる。「高梁川と小田川が合流する立地を再認識し、治水対策を片時も忘れてはならない」

 

◆明治以降の真備の水害

後世に向けて記録誌は注意喚起をしていたが、台風17号から約40年後の2018年7月、真備町は大きな水害に襲われた。

 

時代の流れとともに、宅地開発が進み、新しい住民が増えるなどしたが、災害に何度も襲われた地域は、被災の経験や教訓、対処策を受け継いでいくことが重要だ。

 

町内では1893年(明治26年)の洪水と、西日本豪雨の水害の痕跡が残る蔵の壁が見つかっている。現在、地元住民らが「水害を伝える資料として後世に受け継ごう」と、保存に向けて動き出している。

 

西日本豪雨の際、同町岡田地区で被災した郷土史家・森脇敏さん(79)は「県内には旭川、吉井川、高梁川と三つの大きな川があり、それぞれ歴史がある。全国一律ではなく、行政は地域の歴史に学び、対策をやっていかなきゃいけん。豪雨で多くを失った経験から、温故知新の言葉を肝に銘じたい」と話す。

写真説明:蔵の壁に残る2つの水害の痕跡とされる線を指す森脇さん(倉敷市真備町岡田で)

倉敷市は、西日本豪雨で決壊した小田川堤防沿いに、復興防災公園(仮称)を計画し、2023年度の完成を目指す。森脇さんらはそこに水害を語り継ぐ施設の建設を求めている。

 

(読売新聞 2020年8月22日掲載 「『晴れの国』の災害史」おわり 岡山支局・坂下結子、黒川武士、岡信雄が担当しました)

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