3.11気仙沼 濁流がメキメキと音をたてて迫った

濁流が白波をたてバキバキ、メキメキと音をたてて迫った

気仙沼湾から真っ黒な濁流が何mもの高さで白波を立ててこちらへ向かってくるのが見えた。波は収まるどころか、勢いをつけて海面をぐんぐん上昇させながら迫って来る。家屋や電柱、水産加工施設、高台に向かって渋滞していた車の列、つぶれた石油タンク、転覆した漁船……。バキバキ、メキメキと音を上げ、ほこりを巻き上げながら、あらゆるものを押し流していく。

写真説明:波はバキバキ、メキメキと音を上げ、ほこりを巻き上げてあらゆるものを押し流していった(2011年3月11日午後3時31分、筆者撮影)

津波は公民館も揺らし、水位はあっという間に高さ5mほどある2階天井近くまで上がり、足元まであと1mほどに迫った。私は、東北総局の記者からの電話に受け答えながら、片手で握り締めたカメラのシャッターを切り、動画も撮影した。後から知ったのだが、市内には20mもの津波が押し寄せた地域もあったという。そんな巨大津波に襲われていたら、私も撮影中にのまれて命を落としていただろう。

 

写真説明:押し寄せた津波が車や家、荷物などを押し流し、避難先の公民館を揺らして足元まで迫ってきた。電話を受けながら片手でカメラのシャッターを切った(2011年3月11日午後3時33分、筆者撮影)

数分で一面真っ黒な水に囲まれた

数分後には、公民館の周囲は真っ黒な水で囲まれ、車や廃材、重油が水面に浮かんでいた。「あぁ、うちが流された……」と肩を落とす男性、口を開けたまま変わり果てた街並みをじっと見つめるお年寄り、「娘2人と連絡が取れないの。どこにいるの」と慌てる人もいた。

私もこの時、9年間乗り続けた車を流され、通信部も被災したことを確認した。あ然とするほかなかった。一瞬にして失われた気仙沼の街並み。ここに暮らし始めて1年弱の私でさえ大変なショックを受けたのだから、ここで生まれ育った人々は一体どんな気持ちでこの光景を見つめたのだろうか。

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