【記者コラム】「災」の1年 備えは万全か

写真説明:西日本豪雨災害で甚大な被害を受けた川角地区(2018年7月9日、広島県熊野町で)

土砂につぶされた民家、周りに転がる直径2~3mの岩、一帯を埋め尽くす巨木。西日本豪雨の被災地を取材する応援記者として、7月に現地入りした広島県熊野町の川角地区には壊滅的な光景が広がっていた。

 

幹線道路も被害を受け、取材拠点の広島市から車で5時間かけてたどり着いた同地区。猛暑の現場を歩く中、民家の前で立ちつくす男性がいた。同県東広島市の桐岡賢さん(49)。首にかけたタオルで汗を拭い、行方がわからなくなった父・勝治さん(当時76歳)の捜索活動を見つめていた。

写真説明:父・勝治さんの捜索活動を見つめる賢さん(2018年7月10日)

測量などの仕事をして2人の子を育てる一方、ソフトボールが盛んな熊野町で地域の仲間とチームを作った勝治さん。長男の賢さんもメンバーになり、遊撃手として監督の父を支えた。町のリーグ戦を制し、喜びを分かち合ったこともある。

 

そんな2人が仲たがいしたのは数年前。実家を訪れにぎやかにしていたのが勝治さんのカンに障ったらしく、けんかになった。不器用な男同士、歩み寄れないままだった7月6日、土石流が実家をのみ込んだ。

 

勝治さんが遺体で見つかったのはその6日後だった。「今年の5月、僕の息子が公式戦で初めてホームランを打ったんです。おやじを連れて行ってやれば良かった」。悔やむ賢さんにかける言葉が見つからなかった。

 

千葉に戻っても賢さんのことが気になり、11月に再訪した。被災直後の混乱でまともな葬式をしてあげられなかったこと、近所の人たちに助けられた母は町内の仮設住宅に暮らしていること。この4か月の話を聞く中、賢さんがつぶやいた。「でも、みんなもう豪雨のことを忘れてしまったんじゃないですかね。報道もすっかり減っちゃったし」

 

胸に手を当ててみる。忘れてはいない。しかし、どこまで自身に置き換えて考えていたか。千葉に住む自分は大丈夫。そう思い込んではいなかっただろうか。

 

12人が犠牲になった川角地区は、土砂災害の恐れがある「危険箇所」だった。同様の場所は本県にも推計で約1万1000か所もある。「大丈夫」。その根拠のなさは、東日本大震災で十分すぎるほど思い知らされたはずだ。

 

何をしておくべきか、足りないことはないか、いざ起きたらどうするか――。しつこいほど、備えが万全かどうかを検証する。それが、あの光景を見た自分の役目なのだと、「災」の年の終わりに言い聞かせている。

 

(読売新聞 2018年12月24日掲載 千葉支局・大嶽潤平)

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