3.11福島 悲鳴の先に原発の映像があった

写真説明:東北地方の太平洋沖でM9.0の超巨大地震が発生した直後の東京電力福島第一原子力発電所(2011年3月11日撮影)=本社ヘリから

東日本大震災報道に携わった読売新聞記者たちが「あの日、あの時」報道の裏側で経験したことを、秘蔵していた当時の写真とともに紹介します。

読売新聞社著「記者は何を見たのか 3.11東日本大震災」(中央公論新社・2011)の福島支局・北出明弘執筆分を一部修正し写真を追加

水素爆発20㎞圏内のその時

地震発生翌日の3月12日午後3時半すぎ、福島第一原子力発電所から約20㎞に位置する福島県田村市の古道体育館は、原発のある大熊町から避難してきた約350人ですし詰め状態だった。別棟1階の狭いロビーにはテレビが置かれ、数十人が人垣をつくる。 画面では、原発の姿を伝えていた。映像を見つめる人の中に、青色の作業服を着た原発作業員と思われる男性数人の姿があった。

写真説明:東京電力福島第一原子力発電所のある大熊町から避難してきた住民らは避難所で原発関連のニュースを食い入るように見ていた(2011年3月12日撮影)

私は、地震発生時の原発内の様子を取材する目的で、原発作業員を探していた。この時も、彼らに声を掛けるタイミングを伺っていた。原発の映像を見つめる彼らの表情は厳しく、近寄りがたい雰囲気を漂わせていた。ただならぬ事態――。そんな言葉が脳裏をよぎった瞬間だった。

細い白煙から絶叫と混乱へ

「ああっ」彼らの悲鳴のような声で振り返ると、テレビ画面では同原発1号機の上部から細い白煙が上り始めた様子が映し出されていた。「煙だ」とその場にいた誰もが口にした直後、原子炉建屋が骨組みを残して四方八方に吹き飛び、巨大な白煙がわき上がった。

「ぎゃあっ」悲鳴は絶叫に変わっていた。狭いロビーは一瞬で混乱に陥った。「水素爆発だ」叫びながら家族の元へ駆け出す作業服姿の男性、つながらない携帯電話をもどかしそうに操作する女性、ただオロオロと周囲の様子を眺める高齢男性、脱力してその場に座り込む中年男性、大人たちの困惑ぶりにおびえて泣き出す男児――。

部屋の隅のソファから画面を眺めていた高齢女性は、爆発が起きたことよりも周囲の混乱ぶりにおののいた様子で、隣にいた私に説明を求めるような表情をした。真っ白なしわだらけの両手は、胸元で合掌していた。「爆発のようですが、よくわかりません」と答えると、小さくうなずき、静かに目を閉じた。祈りをささげているようにも、何かを諦めたようにも見えた。

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