3.11東京 ターミナル駅で凍えながら待った

 

写真説明:東日本大震災のあった日、渋谷駅前ではバスを待つ長い列ができた(2011年3月11日撮影)

東日本大震災報道に携わった読売新聞記者たちが「あの日、あの時」に報道の裏側で経験したことを、秘蔵していた当時の写真とともに紹介します。

読売新聞社著 「記者は何を見たのか 3.11東日本大震災」(中央公論新社・2011)の社会部・浜名恵子執筆分を一部修正し写真を追加

東京・池袋であふれかえった帰宅困難者

あの日、被災地では雪が舞っていた。それに比べるべくもないが、東京も寒かった。池袋駅では交通手段を失い、待機場所の情報も知らされない多くの帰宅困難者が、凍えながら朝を待っていた。

私が池袋に着いたのは、午後6時半頃。池袋は、JRのほか地下鉄3路線に2つの私鉄が乗り入れるターミナル駅だ。運転再開を待つ人でごったがえす地下コンコースを進み、JRの改札前に着くと、改札口は閉じられていた。「運転再開の見込みは立っておりません」と繰り返しアナウンスが流れ、それはやがて、「終日運転を見合わせます」に変わった。

写真説明:地震発生直後の電車が表示されたままの池袋駅の電光掲示板。改札内への入場は制限され、利用者は入ることができなかった(2011年3月11日午後7時、浜名恵子撮影)

私鉄、地下鉄も全て運転を見合わせ、バスやタクシー乗り場には数百mの列。しかし、幹線道路が大渋滞で、列が動く気配はない。携帯電話がつながらないため、公衆電話はどこも10人以上が列を作った。

「いったん職場にも戻ってお待ち下さい」。駅職員らが必死に誘導したが、早々に営業を打ち切って従業員を帰した会社や店舗も多く、買い物や乗り換え途中で池袋を通りかかった人たちもいる。具体的な待機場所の指示がなく、階段や柱の影には、途方に暮れて座り込む人たちがいた。

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