3.11東京 ターミナル駅で凍えながら待った

夜10時頃からは、いくつかの路線で運転が再開された。池袋駅では、午後9時55分に西武鉄道、同10時15分に東京メトロ有楽町線が一部区間で運転を再開。東京メトロの残り2路線も、日付が変わるまでに運転を再開した。やがて、待機場所からは、駅に向かって歩く人の流れができた。

ただ、これらの路線を利用して池袋まで来たものの、JRや東武鉄道が運転を再開しないため自宅まで帰れない人たちも多く、コンコースで運転再開を待つ人はなくならなかった。12日未明になっても相当大勢の人が駅周辺で朝を待っていた。

明け方、東京都心の気温は2・3度まで冷え込んだ。駅近くのコンビニエンスストアでは、使い捨てカイロはすでに売り切れ、もちろん毛布もない。「冷たすぎて、床に座ることができない」と、立ったままの70歳代の女性。寒さを和らげようと、街角に置いてあるフリーペーパーを山のように持ち込み、敷物代わりにしていた男性――。「区役所が開いていますよ」と個人的に伝えて回ったが、範囲は限られる。このまま駅にいて体調を崩す人はいないのだろうかと、もどかしかった。私も午前3時すぎ、床に座って仮眠を取ろうとしたが、駅ホームから下りてくる冷気と、繰り返し襲ってくる余震でほとんど眠ることができなかった。

翌朝 東北沿岸部の映像に言葉を失う

午前6時前、東武鉄道が運転を再開。待ちかねた乗客たちが詰めかけた。一方、まだ運転再開をできずにいるJRの駅員には、「いつ運転を再開するのか」といら立ちをぶつける人もいた。しかし、大部分の人は、駅に設置されている画面を、食い入るように見つめていた。

普段は運行情報などを映す画面だが、この日は宮城、岩手などの沿岸部を上空から映したニュース映像が繰り返し流されていた。50人、100人が輪になって画面をとり囲み、誰もが無言だった。池袋で朝を迎えた人たちの多くが、この時初めて、東北沿岸部の被害の重大さを知ったはずだ。私もそうだった。街がまるごと水に浸かり、わずかに残った建物も、屋上まで水にぬれている様子を見て、めまいがした。

地震発生から17時間以上が経過した午前8時すぎ、JRもようやく運転を再開することになった。テレビにくぎ付けだった人たちは、我に返ったように、改札に吸い込まれていった。駅の入場規制も11時ごろまでにはほぼ解消し、帰宅困難者たちは、疲れ切った表情で家路についた。私もそれを見守った後、区内の自宅に帰った。

写真説明:地震発生から17時間後、JRが運転を再開し、大勢の人が改札に吸い込まれていった(2011年3月12日午前8時、筆者撮影)

数日後、別の駅を取材していた記者と話す機会があった。「駅で近くの待機場所までの地図が配られ、案内された」という所もあれば、「シャッターが閉められていた」という所もあり、場所によって対応は様々だったようだ。池袋駅は、シャッターは閉められなかったものの、待機場所への誘導は不十分だった。自治体や交通機関は、今回の経験を生かし、帰宅困難者の立場に立った対応策を考えてほしい。

 

「記者は何を見たのか 3.11東日本大震災」社会部・浜名恵子(P269~273)

※)「記者は何を見たのか 3.11東日本大震災」は読売新聞社が東日本大震災の取材にあたった読売新聞記者77人による体験記をまとめ、2011年11月に出版した。2014年2月に同タイトルで中公文庫となり、版を重ねている。

東日本大震災10年・読売新聞オンライン

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