予知からの転換 地震防災は阪神大震災から始まった

写真説明:阪神大震災に見舞われた神戸市。明かりが消えた市街地の所々に炎が上がっていた。マグニチュード7前後の地震は毎年のように日本のどこかで起きている(1995年1月17日夜、撮影)

確実な地震予知は困難

「確実な地震予知はかなり遠い先まで難しい。気になる現象をわかりやすく説明することが重要な役割になる」。2019年5月、地震予知連絡会会長就任の記者会見で山岡耕春・名古屋大教授は予知連の立場を端的に語った。

 

予知連は50年前の1969年、国の地震予知計画を推進する国土地理院院長の私的諮問機関として発足。専門家や国の防災担当者が地震発生の時期や規模、場所を予測する研究などを行い、国の地震関連の政策にも関わった。しかし、研究が進むほど予知ができないことがわかってきた。

 

予知連に決定的な転機が訪れたのは、甚大な被害が出た95年の阪神大震災。震災を最後に予知連は地震活動の見通しなどの見解を公表することをやめ、議論や意見交換を行う場になった。

当初「10年後には…」と考えられた

予知研究は62年に研究者有志が作った「地震予知―現状とその推進計画」の発表が始まりとされる。計画の中で地震前の地殻変動が確認されたことなどから、観測体制が整えば「10年後には十分な信頼性をもって答えることができるであろう」との方向性が示された。予知連は74年に東海地方を観測強化地域に指定。研究者が発表した静岡県の駿河湾を震源とする「東海地震説」も注目され、78年には国内で唯一東海地震の予知を前提にした法律が施行された。

こうした社会の動きに呼応するように研究者たちはこぞって予知研究に進んだ。当時予知に懐疑的だった入倉孝次郎・京都大名誉教授は「研究のどこかに予知に関する部分がないと学会で相手にされなかった」と振り返る。

震災を機に より詳細な観測重視へ

予知の難しさは阪神大震災で浮き彫りとなった。研究者の多くは関西の地震発生を予測したが、具体的な時期や規模を示すことはなかった。

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