3.11秘話「釜石の奇跡」の裏に共助のリレーがあった

写真説明:東日本大震災後の津波で水没した岩手県釜石市の釜石東中学校(左)と鵜住居(うのすまい)小学校(2011年3月12日、本社機から)

児童生徒の背中を押したのは…

中学生が小学生を支えながら高台を目指して避難した――。東日本大震災で岩手県釜石市鵜住居(うのすまい)地区の生徒たちが見せた行動は、「避難のお手本」として広く知られることになった。だが、当時釜石東中3年だった菊池のどかさん(25)は、もやもやした思いをずっと抱えてきた。「『釜石の奇跡』なんて言われていますが、小学生が心配だったのに、最初は自分たちだけで逃げたんです」

「点呼はいいから、走れ!」

大きな揺れが落ち着き、校庭に出た菊池さんら生徒約210人は、村上洋子副校長(63)(当時)の「点呼はいいから、走れ!」の指示で、即座に駆け出した。

隣接する鵜住居小に動きはなかった。「もし残っていたらやばい」。菊池さんたちは「津波くるぞー、早く逃げっぺー」と校舎に向かい叫んだが、反応はなかった。「津波が来たら、助からない」。そう思いつつ、走るしかなかった。

すれ違いで、地元消防団6分団の二本松誠さん(57)が小学校の敷地に車を乗り入れた。2人の子供が同小に通っていた。二本松さんが急いで校舎に入ると、児童の多くが3階へ避難している途中だった。「何やってんだ。早く高台へ避難しろ!」。教員たちは慌てて、外に出るよう指示した。

「はだしで大丈夫だから走れ」

近くの水門の閉鎖を確認した二本松さんは、仲間の団員と再び校舎へ戻った。停電で校内放送ができない。逃げ遅れがいるかもしれない。案の定、2階に児童数人と教員がいた。さらに保健室には、靴をなくして困っている低学年の子がいた。「はだしで大丈夫だから走れ」。お尻を軽くたたくと、その子は走り出した。

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