3.11秘話「釜石の奇跡」の裏に共助のリレーがあった

児童の手を引き一時避難所から高台へ

児童生徒が向かったのは、約800m先にある介護福祉施設の駐車場。訓練で確認を繰り返してきた一時避難所だ。菊池さんは、児童たちの姿を見て、胸をなで下ろした。さらに高台を目指し、地域住民と一緒に、児童の手を引いて避難するのはここからだ。

写真説明:「避難できたのは地域の人たちのおかげ」と語る菊池さん(岩手県釜石市で)

児童全員が校舎から避難できた経緯を、菊池さんが知ったのは7年後だった。避難の途中には様々な助けがあったとも聞いた。「地域の人たちが私たちを逃がしてくれたんだ」。菊池さんは翌年、鵜住居の震災伝承施設の職員になった。

写真説明:釜石東中学校(左)と鵜住居小学校(右手前)のある釜石市鵜住居地区は、震災当日の午後3時17分頃に高さ約11mの津波が到達し、甚大な被害を受けた(2011年3月12日、本社機から)

住民一喝 570人は海抜2mから44mへ1.6kmを走った!

岩手県釜石市の鵜住居小学校と釜石東中学校の約570人は、津波が迫る中を、1・6㎞先の峠へと走った。その途中では、消防団や地域住民らが手を差し伸べた。過去に何度も津波を経験している鵜住居地区では、学校と住民による合同訓練が行われるなど、地域ぐるみの助け合いが根づいていた。「奇跡」には伏線があったのだ。

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