3.11秘話「釜石の奇跡」の裏に共助のリレーがあった

pm 3:10頃 ございしょの里=海抜4m

校舎を飛び出した児童生徒がたどりついた一時避難場所の介護福祉施設「ございしょの里」の前には、保護者や近所の人たちも集まっていた。車で渋滞する道では、住民や教員たちが「子供たちを通してけろ」と呼びかけて誘導。恐怖でおびえる低学年の児童は、中学生たちがなだめた。

「山が崩れ始めている。ここさいたら死んでしまう!」

生徒の数を確認していた釜石東中の斎藤真(しん)教諭(48)(当時)は、高齢の女性住民に手を引かれた。「ここさいたら、子供たちが死んでしまうぞ。崖が崩れてる」。裏山から小石が落ちてきていた。斎藤教諭から報告を受けた村上洋子副校長(63)(同)は、300m先の「やまざきデイサービスホーム」への移動を決断した。鵜住居の沿岸部が高さ11mの津波にのまれたのは、その直後だった。

pm 3:17頃 やまざきデイサービスホーム=海抜15m

到着したデイサービスの駐車場で、教員らが打ち合わせを始めようとしたときだった。

「時間ねえべ、そこまで水が来てる」

消防団員の二本松誠さん(57)が声を張り上げた。「そんな時間ねえべ。そこまで水が来てる」。子供も大人も水煙に気づいた。「やべえ」「逃げろ!」。即座に裏山と峠の二手に分かれた。

「大丈夫!みんな逃げてる」

裏山に向かった集団には低学年の児童が託された。山道もなく、急斜面を2mほど登るしかない。小6だった長女桃香さん(22)と一緒になった佐藤健さん(49)は、ほかの住民と協力し、雑草や木の枝をかき分け、小さな子供たちを持ち上げ、山を登らせた。2歳下の弟繁さん(20)を心配して泣きじゃくる桃香さんに、佐藤さんは「大丈夫、きっと逃げているから」と声をかけた。

小学4、5年生や中学生たちが目指した峠も急な坂道が続いた。後ろに保育園児がいるのに気づいた生徒たちは、抱きかかえ安心させようとした。園児が乗った手押し車を、園の職員に代わって押す生徒もいた。

夕方~夜 山を登りフェンスの穴から道路へ 峠=海抜44m

津波が引くと、裏山に逃れた集団は峠へ移動し、桃香さんも弟と合流できた。日が暮れ、雪が激しくなってきた。デイサービスの手前まで泥水に覆われ、街に戻ることはできない。まだ10歳の繁さんは「訓練とは違う。これからどうなるのか」と不安だった。

峠の近辺には、6日前に開通した三陸沿岸道が走っていた。二本松さんはのり面をよじ登り、持っていたペンチでフェンスを切った。子供たちはフェンスの穴から道路に出た。釜石の街へ歩き始めてしばらくすると、久保秀悦(しゅうえつ)さん(61)が運転する消防団のポンプ車が止まり、続々とダンプカーなども集まってきた。消防団が無線で呼んでくれたのだった。

避難所でも率先して避難者カード作りや掃除

三陸沿岸道でダンプカーなどに助けられた児童生徒たちは、4km離れた避難所の旧釜石第一中学校体育館に到着した。そこから別の避難所へ移った生徒たちは、安否確認に役立てるための避難者カードを作り、掃除を率先して行った。

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