歴史学者磯田道史氏が語る震災10年「今は災間です」

災害記録から警鐘を鳴らすのが自分の役割

東日本大震災から10年。この大惨事から私たちは何を学び、何が変わったのか。歴史学者、磯田道史氏(=写真)に聞いた。

圧死した儒学者の墓に駆け付けた

東日本大震災の発生時、私は茨城大に在職中で、翌月、水戸市内の藤田東湖の墓に駆け付けると、墓石が倒れていました。東湖は水戸藩の優れた儒学者でしたが、1855年の安政江戸地震の際、今の小石川後楽園(東京都文京区)にあった水戸藩邸で被災。火鉢の火を消しに建物に戻った母を助け出した直後、自身は崩れた梁(はり)で圧死しています。

母は火事を出したら主君に申し訳ないという「忠」、東湖は親の命が大事という「孝」による行動でしたが、揺れる中で、崩れそうな建物に戻るのは危険です。緊急時は「個々の命ほど大事なものはない」と割りきる覚悟が必要で、東湖の悲劇はその教訓です。

被災地の古文書や古い地名からわかったこと

その後、東北の被災地も巡り、古文書や古い地名などの調査をしてきました。過去の災害記録と、近年の被害実態を照らし合わせて検証し、現代社会に警鐘を鳴らすことが歴史学者の役割だからです。

津波に襲われた宮城県南三陸町の防災庁舎が立っていた場所は「塩入(しおいり)」という地名でした。津波や高潮に襲われてきた過去を示し、防災庁舎を建てるには危険な場所でした。同様の地名は、南海トラフ巨大地震が懸念される地域にも存在しています。

無断転載禁止

この記事をシェアする

オススメ記事

新着記事

公式SNS