聴覚障害者が命を守れるように!3.11の経験から防災手話動画を発信

東日本大震災当時のこと

震災時は、仙台市青葉区の地方銀行の本店で勤務していました。職場は無事だったものの、沿岸部の支店が津波で被災し、同僚が被害状況の把握などで慌ただしくやりとりをしていました。私はその会話の中身がわからず困惑し、周囲の人に聞き直して何とか話を理解しました。

難聴者の状況

当時、難聴の人を支援するNPO法人の理事長だった私は、仲間の安否を確認し、状況を聞き取りました。その中には「情報が入らない」と悲痛な声も。電気や水道といったライフラインの復旧はいつか、食料の配給はどこであるか、ラジオや広報車の音は私たちには届きませんでした。防災無線が聞こえず、津波から逃げ遅れた人もいました。

震災翌年から聴覚障害者が集まれるサロンを開催したり、避難生活の相談に手話で応じたりしました。2014年11月には30年近く勤めた銀行を退職し、宮城県聴覚障害者情報センターで聴覚障害者の支援に専念することにしました。

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